たゆたいながら暮らしてく

20代の男性カップルの片割れが、日々思うことをつらつら綴る不定期更新のブログです。独り言みたいに聞こえるかもしれませんが、誰かに知ってほしい思いだったりを掬い取って頂けたら幸いです。

生き方はそれぞれ

LGBTという括りは、すごく大きな範囲を捉えて表しているように思います。

そう思うのは、自分がその括りの中にいることで、性の多様性を実感を持って理解できているからです。

 

 ひと口にゲイと言っても、これまた多様なものです。

男っぽい人もいれば、中性的な人もいる。

 

でもそれは、ストレートの男性の中にも色々なタイプの人がいるのだから、ゲイでも同じことが言えて当然。

 

ゲイの中にも様々な嗜好を持った人がいるわけです。

 

 

僕は、それこそ男っぽい方ではないですが、男として産まれ、ストレートと自認して生きて来ました。

 

僕が小さい時にテレビに出ていたLGBTらしき人といえば、『ピーコとおすぎ』くらいのものでした。

社会的にはまだまだ"オカマ"も"ホモ"も、差別的な意味合いが非常に大きい表現でしたし、そういう存在はやっぱり嫌悪の対象だったように感じます。

 

いつ、どこで、だれが教えたのかわかりませんが、"ホモなんて気持ち悪い"という固定観念が僕の中にも根強くありました。

と、言うよりも、人のことを好きになると言うのがどう言うことなのかさえわかっていなかったわけですから、男が男を好きになるということが、実際にあるのだということ自体、全く理解できていなかったのです。

 

 

大学に入って初めて彼女ができました。

 

彼女のことを適当に考えたことは一度だってありませんでしたが、彼女という存在がいてくれることで、"体裁を保てていることへの安心感"を感じてしまっていたことは否めません。

ーーー良かった、これで僕も普通の人間だ。

と、社会のなかで自分の居場所を獲得できたとさえ思っていました。

 

今の彼と出会ったのは社会人になってからです。

僕は"今までの人生全て"と、"これからの人生全て"を天秤にかけ、

"これからの人生"を選んだのです。

 

 

 

長くなりましたが、そういう訳で僕はオープンには生きていません。

そのターニングポイントより前に僕が関わった人たちの中で、僕の"今"を知っている人はごく僅かです。

 

 

一方彼は、10代の頃からオープンです。

だから、高校時代の友達とも未だに連絡を取り合っているようですし、今の職場でも理解を得られているようです。

 

 

僕にとって自分のセクシャリティとは隠すのが当たり前のもの。

彼にとって自分のセクシャリティとは殊更ひけらかすようなことはしなくとも、隠す必要はないもの。

 

 

隠していると色々苦労がありますし、悩むことも多々あります。

ですが、今の選択に後悔は全くありません。

 

自分で自分の生き方を縛りつけようとしていた頃と比べれば、こんな幸せなことはないと思うほどです。

 

 

人の数だけ人生観は違います。

オープンが善で、クローズが悪ではありません。

 

偉そうに言うつもりはないのですが、みんながみんなの生き方を尊重しあえる世の中になればなぁ…

と、虚しい空想に耽る今日この頃です。